3月6日、YouTube「しまの介SONGS」に松山千春の「黄昏」をアップしました。
(曲名を表示した上記の黄昏時の写真は、昨年の12月に小豆島から高松に向かうフェリーから撮影したものです)
しまの介がギター弾き語りでカバーした「黄昏」は本日現在、視聴回数451回、イイネは3ついただけました。
本日は、この曲を配信した経緯や、当時に流行っていた歌について記載したいと思います。
「黄昏」は、1982年5月21日にリリースされた松山千春の8枚目のアルバム「大いなる愛よ夢よ」の収録曲です。
恥ずかしながら、しまの介はこの曲を知りませんでした。
(松山千春のコンサートは10回近く行ってるのですが…)
今年の2月26日ですか、たまたまYouTubeで配信されていた松山千春のコンサートを聴いていて、この曲が流れました。
「う~ん、いい!」
哀愁おびた生ギターのイントロ、そして3番の歌詞「いつかはこの夢 かなえてやろう」。
是非、配信したい!って思いました。
ギターの練習は3月4日頃から始めましたが、初見なのでイントロがなかなか上手く弾けませんでした。
しかし拙いですがイントロをなんとか弾いて、3月6日に配信することができました。
ところで、この曲が配信されたのは1982年。
皆様は、何をされていましたか?
しまの介は社会人3年目になってましたね。
仕事がつまんなくて、水面下で転職活動してました。
当時華々しくテレビCMをしていた某企業に中途採用を決めていただいたのですが、親に説得されて結局、転職はあきらめました。
そんな状況でしたから、松山千春のアルバム「大いなる愛よ夢よ」を聴く余裕もなかったのでしょうね。
アルバム収録曲ですから、街に流れることもなかったと思います。
しかし40年の時を経て、この曲に巡り合いました!
これもYouTubeのおかげですね。
この記事もYouTubeで「松山千春25周年」ライブを聴きながら書いてます。
ところで1982年にはどんな曲が流行ってたんでしょうか?
松田聖子の全盛期でしたね。
1月「赤いスイートピー」、4月「渚のバルコニー」、7月「小麦色のマーメイド」、10月「野ばらのエチュード」と立て続けにリリースしています。
5月1日には中森明菜が「スローモーション」でデビューしました!
そして7月には「少女A」、11月に「セカンド・ラブ」をリリースしてます。
7月21日にはあみんが「待つわ」でデビューしてます。
この曲、流行りましたね~。
1982年のオリコン年間ヒットチャートの第1位を獲得してます。
おなじ7月に郷ひろみが「哀愁のカサブランカ」をリリース。
この曲はその後、しまの介のカラオケのレパートリーの一つになりました。
この曲、YouTube「しまの介SONGS」で歌いたいのですが、外国曲のカバーなんですね。
外国曲をYouTubeでカバーするのは、著作権の関係で、厳しいと思います。
9月には中村雅俊が「恋人も濡れる街角」(作詞・作曲 桑田佳祐)をリリースしてます。
この曲もしまの介のカラオケのレパートリーの一つです。
同じ9月に研ナオコが「夏をあきらめて」(作詞・作曲 桑田佳祐)をリリースしました。
これもいい曲ですね。
ちなみに桑田佳祐率いるサザンオールスターズは、1982年は「チャコの海岸物語」「匂艶THE NIGHT CLUB」「Ya Ya(あの時代を忘れない)」をリリースしています。
あと、一風堂の「すみれ September LOVE」、細川たかしの「北酒場」なんかも流行りましたね。
歌以外で1982年に流行ったものとして、本ではNHKアナウンサーの鈴木健二さんが書いた「気くばりのすすめ」。
この本はベストセラーになり、しまの介も買いました。
映画では、10月に「蒲田行進曲」、12月に「E.T.」なんかが放映された年でした。